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引退馬(ある悲劇の馬が教えてくれた事)

公開日: : 最終更新日:2016/10/31 未分類, 競走馬, 競馬全般

facebookの友人さんよりご紹介頂いた、引退馬についての文章を拝見しました。その文章を読んで、ちょっと感じた事があったので、こちらで感じたまま文章を打ってみようと思いました。プロには、プロなりの考え方が在り、ぜひ皆さんにお伝えしたいと思いました。(現役ではありませんが)

 

 

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ある引退馬のお話

引退馬について考えてみますと、 競馬関係者にとって引退する馬と言うのは、「過ぎ去って行く馬」でしかありません。しかし実は、それは「照れ隠し」的な部分と、「甘い感情」を持っては行けないと言う気持ちが隠されていたりすると思います。そう思わなければならない、強い気持ちを持たなければならない場面が多々あるからです。

 

経験

調教助手の頃、雨の激しく降る中、美浦トレセン北Cコース(ダート)で3頭併せの追い切りをした事があります。その馬は3頭併せの大外を周り、調整上激しく脚を使う調教を課せられていました。彼は厩舎でも調教大将の、ダート路線で活躍するオープン馬で、真面目でまず僚馬には負けた事がありません。コロっとした体系でさほど目立つタイプではなかったのですが、筋肉が柔らかく、走りも柔軟でとてもセンスを感じさせる馬でした。

「負けず嫌い」の気質を豊富に備えた馬ですが、若い頃から乗り手にもとても素直で、気性的に荒っぽい事をする事もなく、馬房でもとても静かで「品」のある彼でした。担当厩務員は、良く出来た息子に接する様に大事に大事に彼の活躍を見守っていました。オープン特別でも勝利し、これからチャンスがあれば重賞を狙って行く予定です。

その彼のレースへの調整過程での追い切り。私は3頭併せの真ん中でスピード調整を担当。

彼はウッドチップ馬場が極端に苦手で、引っかかるだけ引っかかり時計がまったく出ないで終わってしまうので、雨で路盤が見える馬場でしたが、いつも通りダートコースを調整追い切りの馬場に選択していました。

東京開催に合わせた左回りの北Cダートコース。内に居る条件馬が先行し、その馬はマイペースで進みます。私の乗る馬は、そこそこ動ける馬でしたが、こちらも条件馬で、明らかにオープン馬よりは脚色が劣ります。

内の条件馬は、自然と再内に潜り込み、脚を溜めます。私も外のオープン馬の彼と鼻面を合わせてゴール板を過ぎる為に、再内馬の後に潜り込み、ビシビシ濡れた砂を被り、脚色を計りながら息を溜めます。

彼(オープン馬)には、5ハロンで64秒程度の強い調教を課す予定でしたので、私は乗る馬の能力に合わせ2、3秒先行した所に位置を決め、そして彼に乗る調教手は勝手知ったるで外目を廻り脚を計っています。前半を15−13と、トータルタイムに合わせてちょっと早いペースを作りました。

併せ馬の追い切りで、通常先行する馬はコーナーでは外側を走り、後方から追い上げる馬との距離を計りながら進むのですが、「後方、外側」と言う位置で他の馬と併せ馬出来る馬は、あまり居ません。
それだけ彼の能力は、非凡でした。

 

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4コーナーに差し掛かり、オープン馬の彼はギアを「グン」と上げます。経験豊富な乗り手なら、振り返らずとも僚馬が後で加速を始めた事を察知し、自身の馬がゴール板で遅れて、自信を無くさせない様に距離を計り調教をしなければならず、かと言って彼を取り残す事は絶対に避けなければならない調教です。

ここまで全てイメージ通りです。

この様な調教から、新たなオープン馬が生まれるのを何度も体験して来ました。能力の高い調教パートナーと一緒に走る事で、息使いのリズムや、無駄なく前に自身を押しやる走法なども、自然と会得して行くのでしょう。それだけでも、一頭のオープン馬の存在は、厩舎にとって牽引役であり、主エンジンになり得る素晴らしい存在です。

彼の息づかいが、外からラチ沿いに迫って来ます。内に居た馬は、少し早めに取り残されました。

彼はみるみる私の馬に近づいて来ます。私の馬は、賢明に彼に食い下がります。横ぶれの少ない走法で彼は一直線に突き抜けて来ます。

そして私の馬が少し置かれてゴール。やはりオープン馬の調教大将。凄い脚で伸び脚を見せて来ます。毛艶も映え、私はよく馬の内股の「張り」を確認する事で、その馬のフィット具合を確認します。

横を矢の様に通り過ぎる彼の内股は、張り裂けんばかりに黒光りし、さらっとした良い汗が弾け飛んで居ました。完璧な仕上がりだと思いました。

 

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そう思ったその瞬間でした。脳みそに刷り込まれている、この世で一番嫌な乾いた「パキッ」という音がしました。竹を力任せに折った時の音に似ているかもしれません。

一瞬で凍り付く、痛烈に嫌な音です。彼はその直後前脚からもんどり打って、調教手を地面に叩き付けました。

私は惑う気持ちを、一生懸命状況の把握に押しやりました。それでも信じたく無い状況なので、気を抜くと頭が混乱する方向に行ってしまいます。

すぐに自馬を止め、周囲の状況を確認しながら、傍に駆け寄ります。

投げ出された調教手の無事を確認し、そして彼を確認すると、やはり信じ難い状況が生まれています。

彼の左前脚が、地面から離れて居ます。三本脚のまま、泥だらけのまま、その場に立っています。厳しい状態です。プルプルと身体を奮わせながら、左前脚を着こうとするのですが、その脚がブラブラに皮一枚で身体とつながっている状態なので、転びそうになりながら、それでも辛うじてそこに立って居ると言う感じでした。

 

骨折でした。

馬はご存知の通り、生まれた直後から大地にしっかりと立ち続ける事を本能に教えられています。それが例え三本脚でもです。

そんな状況に遭遇した人間は、とても苦しい気持ちに苛まれます。人間達のエゴをハッキリと認識するからだと思います。

彼に跨がっていた乗り手は、全身、顔まで泥だらけのまま、彼の鼻面を優しく撫でて居ます。

 

「悔しい。。」

そんな面持ちでした。私はその乗り手にかける言葉として選んだのが、

 

「気にするなよ」

でした。

 

正直辛かったです。ここが一番辛かった。

乗り手は一言

 

「はい」

とだけ答えました。

オープン馬の彼は、何度も前に歩こうとします。脚が着かないのに。

 

担当厩務員が、重たいお腹をゆさゆさ揺らしながら、血相を変えてスタンドから駆け寄って来ます。もう叔父さんと呼ばれる年齢を超えているのに、息を切らせながら雨の中をびしょびしょに成りながら駆け寄って来ます。近づくにつれ、担当厩務員がその居たたまれない現実を把握します。大の男が頬を紅潮させ、懸命に涙を抑えている様に見えました。

私が更に悲しい情景に出会ったのは、担当厩務員が折れた方の脚を持ち上げ出した時です。本当に辛い情景です。「よしよし」と言いながら、厩務員はなんと彼の数百kgもある馬体の一部を自分の力で身体を張って支えます。かけてる眼鏡をずらしながら、水で浸った深いダートに自分の足を突っ込み、全身全霊の力で彼を支えようとします。私は「無理だよ。やめよう。」と心で叫ぶも、口からその言葉がついに出ませんでした。その後担当厩務員は、下を向きながら静かにその動作をやめました。

実生活において、まったくあり得ない情景です。でも、これが競馬関係者のとてもリアルな現実です。

 

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誰も悪く無い。誰かが悪かったら、良かった。

3頭併せの主導権を握っていた、私のせいにすればいい。彼が走るコース取りを道中決めていた私が悪いから、私にその悲しさを向ければいい。綺麗事ではない、心底そう言う気持ちを持ちました。

 

雨が悪い。

馬場が悪い。

時間が悪い。

 

何でも良かったです。
何か受け止める事があれば良かったんです。

それほど、乗り手と厩務員は、悲痛な顔をしていました。私もきっと彼らと同じ顔をしていたと思います。その場で私が何を求めていたか?ただただその場を癒せる力を欲しがっていました。

私達は、彼のその後と言う物を一瞬で判断が出来ていたので、空虚で切ない心を一生懸命どこかに押しやる作業をしていましたが、しかし彼の悲痛に歪む顔を確認した時、彼の傷み以上の物は無いとの確信を始めてから、その状況をしっかり受け止める努力を始めました。

 

そして、天を仰ぎながら震えて立ち尽くす傷だらけの一頭のサラブレッドが、その場に静かな空間を作っていました。

 

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いつしか馬に対する愛情を薄める方向で心が動きます。愛する馬達の悲痛な叫びを聞く度に、そこから逃げる様に、「経済動物だから」と思う様になります。「甘っちょろい気持ちは、禁物」となり、「勝負の世界では通じない」になります。

 

でも

馬が好きでこの世界に入って来ている人間に取って、馬が悲痛な叫び声を上げる事は、本当に本当に辛い出来事なんです。馬に関わらず、動物を扱うと言うのは、何か自分なりの信念を持たなければやって行けない職業だと思っています。

こうして、華やかな競馬の裏で、静かに引退する馬も多く居ます。

 

無事であれば、労いしかない

活躍し種馬や繁殖牝馬として、また未勝利馬や能力の頭打ちなどでサラブレッドが引退する時、トレセンに馬運車が引き付けられます。私はその馬運車に愛馬を乗せて行く厩務員の姿を観るのが好きでした。

厩務員達は、その馬に今までで一番良い笑顔を与えてやります。その馬の行く末がどうであれ、良い笑顔を残してやります。厩務員が馬運車から降りる時、「ポンポン」と愛馬の背中を愛撫してやります。

 

「よく頑張ったな。御苦労さん」と。

言葉にして多くは語らない厩務員達ですが、心底憎んで送り出す厩務員は絶対に居ないと確信します。大袈裟に自分の感情を表し、愛馬と別れる悲しさのあまり大泣きして崩れる関係者は、私も正直プロとしてどうなんだろう?と感じてしまいます。現実、その様な厩務員を観た事はありませんが。

その馬の一生の一部ではありますが、狭い馬運車に揺られて各地方に参戦し、時には海外、ヨーロッパやアメリカまで付き添う厩務員や調教助手。

そんな彼らは、もしかすると引退後に「担当した馬」を引き取る気持ちも生まれているのかもしれません。でもそれは、「では他の馬達は?」と成ってしまう事をよく知っています。その馬が生まれてから、そこまでに携わって来た多くの人の愛情の数を知っています。決して自分だけが、彼らに愛情を注いでいる訳では無い事を、経験から謙虚にそう思っています。

またペットとしてサラブレッドを扱うのは、特に厳禁です。彼らに調教を課し、お金を稼いで貰わなければならず、猫可愛がりをする担当者はプロとして失格だと思います。

私はハッキリと競走馬は「経済動物」と認識しています。この議論は、競走馬が存在している限り、永遠の課題だと思いますが、私にとってはもう答えが出ている事です。

 

 

 

プロとしての答え

多くのプロにとっても答えが出ている事だと思っています。

先の友人に紹介された文章に、自費で引退馬を引き取って行く方のお話が載っていました。

それは一つのストーリーとして、とても素晴らしい話だと感じました。しかもお金に余裕がある方であるなら、一つの道楽としても捉えられますが、そうではない方のお話です。

そのストーリーに関して評価出来るつもりはまったくありませんが、大事なのはその方ににとってどうであるのか?って事のみで、一頭の引退馬を自費で引き取って行く方々を、肯定する事も否定する事も、私の中にはあり得ません。

その方々の行いは、きっと「自身の信念」に委ねた行動で、それは賞賛に値するものだと素直に思います。

その信念から、その人はきっと大きな何かを得て行く事だと感じます。

そしてその行動を伝え聞いた人から、その信念の先の何かを感じる人が再び生まれ、そうしてずっと無く成らない感情として残って行く事だろうから。

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偽りない気持ち

私が自由な立場で特に多くの人に伝えたいのは、

競馬場の人間は、その与えられた時間と空間の中で、サラブレッド達に精一杯愛情を捧げているのは、「間違いない」と言う事です。それは、サラブレッドがただそうさせるからだと思っています。

競馬に関わる人間達が、互いの思惑やビジネス感、意識の違い、そして「勝ち負け」があろうとも、いつの時代もここだけは「真実」だと強く思っています。

 

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